天ぷら
読み方:てんぷら
同義語:天麩羅・天婦羅・薩摩揚げ
もともと関東地方では東京湾でとれた新鮮な魚を天ぷらに、一方関西地方(特に京都)では新鮮な魚が入手しにくかったので野菜や山菜を天ぷらにして食べていました。食材の旨みをサクサクとした衣で包み込んだ天ぷらは、世界中の人々に好まれている日本料理の一つです。
色々な語源説
天ぷらにも関東風と関西風があります。関東風の天ぷらは、卵を入れた衣を胡麻油で揚げたもので、こんがりキツネ色に仕上がるのが特徴です。一方関西風の天ぷらは卵を入れない衣をサラダ油で揚げたもので、白い天ぷらが特徴です。もともと関東では江戸前でとれた魚を天ぷらにしていたので、魚の臭みをとるために胡麻油で揚げるようになった言われています。一方関西では野菜中心であったため、自然の味を生かすため天つゆではなく食塩をつけて食べるようになったと言われています。
「天ぷら」はポルトガル語で「四季の斎日」を意味する「テンポラ」が語源という説があります。四季の斎日とは季節のはじめの三日間に祈りと節食をする習慣です。この期間中信者は肉を食べる事が禁じられるため、魚などに小麦粉の衣を付けた料理を食べていました。この料理が日本に伝わり「天ぷら」になったと言われています。この他にもポルトガル語で調味料・料理を意味する「テンペロ」や、「あ・ぶ・ら」の当て字で「天〔あ〕・ぷ・ら」など、語源に関しては様々な説があり、どの説が正しいのかはっきりした事はわかっていません。
もともとは南蛮料理
天ぷらは日本古来の料理ではなく、今から約400年前(16世紀の中頃)鉄砲の伝来とともにポルトガルから長崎に伝わった南蛮料理です。当時の日本では油は灯火用の大変貴重なものだったため、調理に大量の油を使用する天ぷらは高級品として扱われていました。江戸時代に入り油の生産が増えた事によって、天ぷらは次第に庶民の大衆料理として広まっていきました。はじめは立ち食い屋台で、おかずと言うよりは間食のような感覚食べられていたようです。天ぷら料理の専門店や料亭が出現しはじめたのは明治以降の事です。
天ぷらが死因!?
徳川家康は天ぷらを食べ過ぎて死んだ!?という説があります。
1616年、駿府(現在の静岡県)で暮らしていた家康のもとへ、当時大変珍しかった天ぷらが献上されました。家康は天ぷらをとても気に入り一気に食べ、その後具合が悪くなり亡くなってしまったといわれています。この当時はまだ油が大変貴重な時代だったので、家康と言えども油料理を食べる事はめったにありませんでした。普段油料理を食べ慣れていなかったため消化不良を起こした事や当時73才という高年齢だった事などが原因だと考えられていますが、確かな事は分かっていません。