越中和紙
読み方:えっちゅうわし
産地:富山
越中和紙は、名産である売薬の発展とともに紙が発展してきました。主なものに鳥の子紙(光沢のあるオリジナルの紙)・山田紙(合羽紙・傘紙・薬袋紙などの厚手の紙の総称)などがあり、ほとんどの紙が売薬関係のものです。
中でも鳥の子紙はなめらかで光沢があるため、反魂丹〔はんごんたん〕など高貴薬の中袋として珍重されました。
薬の里、越中
越中和紙は売薬の発展とともに生産されてきました。薬を包む紙や袋はもちろん、配置袋(家庭に売薬を置くための紙袋)、帳面(帳簿)紙、薬を渡す際の土産用の版画や紙風船に至るまで、売薬に付随して様々な種類の紙が作られ、使われました。また、一般の障子紙や、厚手の提灯紙、傘紙なども生産し、発展を続けました。
薬とともに発展
平安時代の文献によると、8世紀には紙が漉かれ、10世紀には租税の対象になるほど生産されていたようです。しかし、これらの紙が越中のどこで漉かれていたのかは詳しく分かっていません。紙漉きが盛んになるのは元禄年間にになってからのことで、越中売薬の発展が引き金になり盛んに生産されるようになりました。越中売薬は安価で便利な家庭常備薬を先に預け、1年後に使ったぶんだけ代金を受け取るという「先用後利」商法を行いました。その商法が喜ばれ、19世紀中ごろには行商人の数は2000人を超え、北は松前から南は琉球まで全国に進出しました。その売薬の発展とともに紙の需要が伸び、売薬業者や行商人に直接間接を問わず使用される、いっさいの紙を漉くようになり紙の発展に繋がりました。
伝統的技法をひたすら守りつづけるのではなく、時代とともに新しいものを開発していくという越中和紙の姿勢は、現在では型絵染加工品への進出というかたちで表されています。
昔ながらの工程が語る、紙の美しさ
越中和紙は楮・三椏・雁皮を主な原料とし、トロロアオイの根で作った「ネレ(粘液)」で混ぜ合わせます。
原料の楮を皮はぎ、釜ゆでしたものを水の中に入れ、少しずつ広げながら絞って濡れた状態のものを板の上などで広げて、塵を取り除きます(塵取り)。何度も繰り返し、小さなごみを見つけては取り除きます。このほか、皮はぎ(楮の外側の皮を剥ぐ)・釜ゆで・雪ざらし(楮を雪で晒して漂白する)など、漉くことよりもそれに至るまでの工程の方が長く、どの工程も決して楽ではありません。このように昔ながらの工程がすべて丁寧になされてはじめて、丈夫で美しい紙ができあがります。
■参考文献・ウェブサイト
- 和紙文化辞典 久米康夫 株式会社わがみ堂 1995
- 日本の伝統工芸品産業全集 犬丸直 吉田光邦 ダイヤモンド社 1992