浮世絵
読み方:うきよえ
同義語:日本画・美人画・花鳥画・錦絵
関連語:舞妓・芸妓・振袖・羽織・御召・丹前・袴・歌舞伎・日本舞踊
浮世絵とは、江戸時代に発達した版画絵の事です。浮世絵には当時人気のあった花魁〔おいらん〕(※)や歌舞伎役者、風景などその時代の様々な風俗が描かれています。また、初期の浮世絵は単色刷りしかできなかったため、彩色には筆を用いていましたが、1765年鈴木春信らによって多色刷が考案され、極彩色の浮世絵が刷られるようになりました。この多色刷り浮世絵を「錦絵〔にしきえ〕」と呼びます。
※花魁…吉原の遊女の中で、最も位が高い遊女(太夫)のこと。江戸時代、遊女は何千人といましたが、花魁になれるのは数人だったといいます。
変わりゆく「うきよ」
江戸時代以前「うきよ」といえば「憂世」と書きました。憂世とは世を憂くこと、つまり"つらくはかない世の中、変わりやすい世間"といった意味です。しかし、徳川幕府が開かれ戦乱の世に平和が訪れると、人々の心は次第に晴れ渡り「うきよ」という言葉も「憂世」から「浮世」に変化しました。「浮世」は現代風・当世風という意味を持ちます。つまり、浮世絵とは浮世(現代)の様子を描いた絵、風俗画のことを指します。このため、浮世絵には人々の心が躍るような美人や人気歌舞伎役者、心に染みる景色の絵などが中心に描かれています。
また本来浮世絵とは、今で言う街頭ポスターやチラシにあたり、日常生活の中で使い捨てにされる存在でした。しかし歌麿や北斎といった優れた絵師達は消耗品としての浮世絵に芸術性を与え、世界に浮世絵を認めさせました。
ゴッホも愛したUKIYO-E
浮世絵は、16世紀後半に京都の庶民生活を描いた絵が始まりだと言われています。その後、人気役者や美しい女性など身近な題材が描かれるようになったことや、木版画技術が向上したことなどがきっかけで、18世紀(江戸時代)には多くの人々に広まりました。また、この時代に大衆向けの読み物が大流行し、読み物に挿し絵を描いていた画家たちが浮世絵の絵師になっていったと考えられています。
19世紀末頃ヨーロッパの画家たちは、包装紙として使われていた日本の浮世絵を目にしました。そしてその表情豊かな線や簡潔な色使い、自由な発想の図柄など日本独特の表現方法に強い衝撃を受けたといわれています。それまで宗教的題材や写実的技法(※)を重視してきた西洋の人々には思いも寄らなかった技法だったのでしょう。浮世絵はゴッホに代表される19世紀末の画家たちに大きな影響を与えました。ゴッホは浮世絵を油絵で模写し、世界に浮世絵の価値を広めました。
※写実的技法…事実をありのままに描写する手法のこと
複数の人の手から
浮世絵は1人の手で生み出されるものではなく、「絵師」「彫り師」「刷り師」が協力し合い初めて1つの作品が完成します。
最も一般的な浮世絵は次のような手順で制作されます。
1.絵師が墨下絵を描きます(墨線)。
2.彫り師が下絵を山桜の木の板に貼り、絵柄を彫って版木を作ります(墨板〔すみいた〕)。これは黒1色の輪郭線を刷るための版です。
3.色ごとに分けて版木を彫り、それぞれの色の色板を作ります。
4.絵師の立ち会いのもと、刷り師がそれぞれの版木に色をつけていきます。
それぞれの版木には同じ位置に印がつけられています。刷り師は色を重ねていく際、印刷紙の決められた場所を版木の印にあてがって刷ります。そうすることで、ずれることなく仕上げていくことができます。また、色を重ねていくときは「淡い色から濃い色へ」「小さな面積から大きな面積へ」が原則です。
仕上げに「ぼかし」と言われるグラデーションを入れ、完成します(ぼかし摺〔ず〕り)。ぼかし摺りは表現したい効果によって様々な種類があります。
また、浮世絵の簡単な見方を紹介します。
1.改印〔かいいん〕:
改印とは、刊行の際に検閲を受けた証として押された印の事です。これにより、いつ出版されたのかがわかります。
2.絵師落款〔らっかん〕:絵師(原画を描いた人)の署名です。
3.版元印:どこから(誰が)出版したのかが分かります。
*このページに掲載している全ての浮世絵画像は既存の作品ではありません。