Home慣習 ≫ 風呂

風呂

読み方:ふろ
同義語:入浴・銭湯・浴場・湯・湯屋・公衆浴場・浮世風呂・おぶ・湯殿・温泉・浴槽・湯船・バス・バスループ・バスタブ
関連語:冬至・端午の節句浴衣丹前甚平出産・湯女

風呂の画像

心身を清めたり、治療に用いたり、娯楽・社交の場として親しむなど、昔から日本人は風呂を愛用してきました。戦後、住宅不足の中で重宝され、街中に数多くあった銭湯も今では減りつつありますが、温泉人気は衰えを見せません。また、最近では石風呂や五右衛門風呂などの風呂が人気を呼んでおり、やはり日本人の風呂好きは変わらないようです。

意味・特徴風呂好き日本人

風呂は日本人の日課であり、一日の疲れを癒すのに欠かせません。海外ではシャワーのみで、浴槽内で体を洗う国が多いようですが、日本人は湯につかるのが習慣です。そのため、海外のホテルに日本人の団体旅行客が泊まりに来た際、湯の供給が追いつかなくなったという話も聞くほどです。反対に、日本を訪れた外国人が、一般家庭の風呂では家族皆同じ湯を使う習慣を知らず、入浴後風呂の栓を抜いてしまうことも多いようです。
また風呂は娯楽でもあります。全国に数千余りある温泉やヒノキ風呂や打たせ湯、石風呂など様々な種類の風呂を集めた施設は人気があります。人々は風呂に浸かりながら親しい友人や家族と談笑し、時には酒を飲み、良い気分になります。
人生の最初の沐浴〔もくよく〕は産湯であり、死後は湯灌〔ゆかん〕によって清められます。この他、平安以降の公家などは、引越しや婚儀、病気が回復したり新年を迎えた際などに決まって入浴しました。宗教的、文化的通過儀礼としても湯を浴びることは、日本人にとって重要視されてきたようです。
このように日本人は様々な面で風呂好きといえますが、海外でも風呂好きな人々はいます。
ヨーロッパでは、紀元前数世紀のローマ帝国時代から共同浴場が存在しました。当時は蒸気風呂で、体を洗うより医療目的で使用されていました。トルコでは、「ハマーム」と呼ばれるサウナが古くからありました。「体を清潔に保つことを務めとする」イスラム教の信仰と、ローマ風呂の伝統が混ざり合って広まり、17世紀中頃にはイスタンブール市内に約15000のハマームが存在しました。人々は大掛かりな蒸気風呂で汗を流し、世話係にマッサージや体を洗ってもらいました。更に演劇まで行われ、社交場として利用されたこのハマームは、日本の江戸期の銭湯と共通するものがあります。

起源・歴史庶民の社交場だった江戸の銭湯

日本の風呂で最も古いのは、瀬戸内海各地に点在していた石風呂(岩屋風呂)というもので、自然の岩窟で蒸気浴をするものでした。仏教伝来以後、東大寺などの寺院は浴堂や浴槽を持ち、鉄製の大釜で湯を沸かした蒸し風呂が登場しました。僧侶や庶民は心身清浄、時には医療目的で入浴しました。その後この風呂の民間営業が始まり、熱した石に水をかけて蒸気を浴びる蒸し風呂が広まりました。時が経つにつれ湯の量が増え、下半身は湯につかり、上半身は蒸気で蒸す方式に変わっていきました。これは室町時代頃から江戸中期まで、僧侶や公家、武士たちに愛用されました。また、浴衣を着た湯女〔ゆな〕という女性がいた風呂屋があり、彼女たちは客の髪をといたり、体を洗ったりしました。江戸初期の習俗を描いた屏風には、当時の蒸風呂の様子を散見することができます。
その後、扉の開け閉めによって蒸気が外に出て行ってしまうのを防ぐため、「ざくろ口」といわれる出入り口のついた風呂が登場しました。これは出入り口の戸の上半分を板で塞ぎ、客はその下の隙間からかがんで出入りするというものです。ただ、小さな窓が1つ2つしかない室内にはかなりの蒸気がこもるので、のぼせて卒倒する人が出ました。更に室内が暗く、混浴だったので、女性にいたずらする男性が現れるなどの問題もあったようです。こうした蒸し風呂の時代には人々は裸ではなく、風呂用の褌〔ふんどし〕や腰巻などを着用していました。
江戸時代には度々混浴禁止令が出たこともあり、男女別の銭湯が登場し、幕末には江戸内で600軒程に増えました。男性用銭湯は2階建てが多く、人々はここで茶菓子類をほおばりながら将棋や碁などを楽しみ、庶民の娯楽場、社交場として利用しました。
一方家庭用風呂は関東では「鉄砲風呂」、関西では「五右衛門風呂」が主流でした。両者とも大きな桶の下部にかまどを据えつけたものでしたが、温め方に違いがあります。鉄砲風呂は炎が通る鉄管によってお湯を沸かし、人がやけどしないよう板で仕切りました。一方五右衛門風呂は底から熱する方式です。水面に板が浮いており、これを足で沈めて入浴します。

方法・形式・作法五右衛門風呂

底板を沈めて入る五右衛門風呂。大盗賊の石川五右衛門が、彼の子供と共に京都で釜ゆでの刑に処せられたという説話にちなんで名付けられました。十返舎一九〔じっぺんしゃ・いっく〕の「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次良兵衛〔やじろべえ〕と喜多八〔きたはち〕は底板を単なる「ふた」だと勘違いして取り出し、風呂釜に下駄を履いて入浴するうち、お風呂を壊した話は有名です。
地方の昔ながらの住宅では、一昔前まで五右衛門風呂があったところもあるようです。最近ではアウトドア五右衛門風呂なるものが登場し、その風情から人気が出てきているようです。

■参考文献・ウェブサイト


おすすめウェブ・サイト

おすすめ本


トップページへ当サイトについてサイトマップ(キーワード一覧)個人情報の取扱についてお問合せ

Valid CSS! Valid XHTML 1.1!