忍者
読み:にんじゃ
別名:忍び・忍びの者・忍術使い
忍者とは、忍術(※)を駆使し、敵地に潜入して密偵やかく乱といった諜報(スパイ)活動をしていた人達です。特に主に戦国時代に活躍した伊賀・甲賀の忍者組織が有名です。しかし忍者という存在は、影に忍び、闇の実行部隊として活躍していたため、その実態はあまり知られていません。
※忍術・・・敵地に忍び込むための技術、敵に見つかった時の逃走術や手裏剣などの道具の扱いなどの総称です。
戦国時代のスパイ集団
忍者は戦乱の世に欠くことのできない存在でした。忍者は敵と戦う事が目的ではなく、スパイとして身を隠し敵地に侵入し、場合に応じて敵を暗殺する事を主な役割としていました。そのため忍術と呼ばれる特殊な技術を習得していました。例えば、水に潜った際に中をくりぬいた竹を水面に出し、それで息をしながら長時間水中に潜む技や、火薬玉を使って爆煙を出してその隙に逃げる技など、忍術は敵に見つからないように身を潜め、得た情報を無事に持ち帰るための術だったようです。また、忍者は医学知識などの特殊な知識にも優れている必要がありました。彼らの医学知識は、時に毒を調合し、痕跡なく敵を暗殺することに役立ちました。忍者の中には女性の忍者も存在しており「くのいち」と呼ばれていました。彼女たちは、ときには体を武器にして諜報活動を行っていたようです。
戦乱の世に最も活躍
忍者のはじまりには諸説あります。聖徳太子が「志能便〔しのび〕」と呼ばれる諜報集団を操ったという説や、独自の呪術を持つ山伏(※)が忍者になったという説などいろいろあるようですが、その真相は明らかではありません。忍者が最も活躍したのは戦乱の世であった16世紀頃の戦国時代です。「武田家」や「上杉家」といった名の知れた大きな大名家では独自に忍者集団を抱えていました。しかし特殊な技術と能力を兼ね備えた忍者を養成し維持するのには莫大なお金がかかります。そのため大抵の戦国武将達は、必要なときに忍者を雇い入れて敵地への諜報活動を行わせてたようです。その後、江戸時代に入り、国内の戦乱が終息すると、忍者は活躍の場を失いました。そのため、得意の火術をいかして花火師になったり、薬の知識を活かして製薬業を営む者など、忍者は転進を余儀なくされ、次第に減少してゆきました。
※山伏・・・仏道修行に励むために山野で生活する僧の事です。
最大勢力を誇った伊賀忍軍・甲賀忍軍
戦国時代の忍者軍団(忍軍)の中でも、最大規模の勢力を誇ったのが伊賀忍軍と甲賀忍軍でした。
「伊賀」も「甲賀」も共に、戦国三傑と呼ばれる織田信長・豊臣秀吉・徳川家康をはじめ多くの武将を輩出した「尾張・三河」と都である「京都」との中間地点に位置し、戦略的に重要な拠点であった事と、険しい山々に囲まれているので中央の支配力が行き渡っていなかった事が、この地域に忍軍の勢力を大きくしたと考えられています。
映画や小説では伊賀、甲賀の忍軍が対立しあっていたと書かれていることが多いのですが、実際は両者の仲は良かったと考えられています。本能寺の変の時に、明智勢に包囲された徳川家康が大阪・堺から三河まで、命からがら逃げ延びることができたのは、伊賀と甲賀の忍軍の協力があってこそだったと言われています。その後、徳川家康は忍者の存在を高く評価し、服部半蔵〔はっとりはんぞう〕を筆頭に多くの伊賀忍者を家来にし、自身の警護や護衛に就かせたと言われています。