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鳥獣戯画

読み方:ちょうじゅうぎが
同義語:鳥獣人物戯画
関連語:漫画・アニメーション・絵巻物・流鏑馬・高山寺・仏教・賭博・文治政策(文治政治)
関連人物:鳥羽僧正覚猷

鳥獣戯画のイメージ画像

鳥獣戯画とは、猿・兎・蛙などの動物が擬人化して描かれた絵巻物で、日本最古の漫画だと言われています。平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて、鳥羽僧正覚猷〔とばそうじょうかくゆう〕によって描かれたといわれていますが、確かではありません。現在も京都市右京区にある高山寺で大切に保管されています。

意味・目的・特徴仏教と俗世の風刺画

鳥獣戯画には、擬人化された様々な動物が登場します。中でも兎と蛙は多く登場します。兎はお調子者でおっちょこちょい、反対に蛙は真面目な熱血漢として描かれています。その他にも馬や牛、犬、鶏など身近な動物に始まり麒麟〔きりん〕や竜、獏などの空想的な動物を含めて70匹近い鳥獣が描かれています。主に擬人化された動物達が人まねをして遊ぶ様子などを描いていますが、第3巻には人間も登場し共に双六や囲碁などの賭博遊びをしています。また第4巻では全体を通して流鏑馬〔やぶさめ〕(※)や葬儀など、人間社会の勝負事や行事の様子が描かれています。
このように鳥獣戯画各巻の内容は全体で一貫しておらず、そのことから主題の解釈には様々な議論が沸き起こっています。一説では第1巻と第3巻は当時の仏教界に対する風刺であり、全巻を通して賭博遊びが描かれていることは俗世への風刺ではないかと言われているようです。つまり、この作者は動物が人間のように振舞う不思議な様子に、人間が住む俗な世の中から神様や仙人の住む神仙世界への憧れの思いを込めたのではないかという説があります。

※流鏑馬・・・馬に乗って走りながら3つの的を順々に矢で射る遊び。

起源・歴史・由来漫画の祖、鳥羽僧正覚猷

花鳥画は、中国の影響を受け平安時代に入ってから描き始められました。それまで花の美しさや鳥の愛らしさを歌った歌は多くありましたが、絵や彫刻といった形で表現されることは無かったようです。鎌倉時代には流行の兆しを見せ、狩野派や雪舟などが多くの花鳥画を描きました。桃山時代から江戸時代にかけては城の装飾画として表具に描かれました。さらに江戸時代の文治政策(※)により、それまで高価な絵画などには縁の無かった庶民も絵画に触れる機会が増えました。そのため、花鳥画は益々盛んになりました。現在でも日本の四季を投影した花鳥画の美しさは、世界中から注目を集めています。

※文治政策・・・武力を用いず、学問や教育の奨励によって世の中をまとめるための政策のことです。

方法・作法・礼法現代に似た漫画技術

鳥獣戯画は、現代のマンガやアニメーションの祖であると言われています。それは、動物を擬人化したユニークな作風のためだけでなく、実際に現代のマンガやアニメーションで用いられる技法が戯画に見られるからです。

鳥獣戯画での効果線使用イメージ画像

例えば、マンガでは素早い動きを出すために線を何本も引き、その効果を表します。これを「効果線」と言いますが、鳥獣戯画でもこれと同じような描写を見ることができます。


■参考文献・ウェブサイト


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