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祇園祭

読み方:ぎおんまつり
同義語:祇園会〔ぎおんえ〕・祇園御霊会
関連語:囃子

祇園祭は京都で行われる八坂神社のお祭で、大阪の天神祭や東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられています。
約1100年も続く長い歴史と、豪華絢爛の「山」や「鉾〔ほこ〕」、そして1ヶ月間にもわたる大規模な祭事である事で広く知られています。毎年7月に行われ、近畿圏はもとより日本全国、また世界中から毎年数10万人もの観光客が訪れるお祭です。

特徴祇園祭りと言えば山鉾

祇園祭は京都の東に位置する八坂神社の祭事で、牛頭天皇〔ごずてんのう〕(※)を祀る行事です。
祇園祭のシンボルは現在32基ある「山」や「鉾〔ほこ〕」と呼ばれる山車〔だし〕です。「鉾」とは屋根に長い槍のような武器(鉾)を持ち、直径2メートルもの車輪が付いたものです。最大のものは総重量約12トンのもの大きさで、鉾の2階にはお囃子をする人々が乗っています。「山」は屋根に鉾の変わりに松の木を持っています。山には鉾と同じように車輪のついたものや人が担ぐものなど、その形態は様々です。これら山車の象徴である鉾や松の木には、疫病神が吸い込まれると信じられています。
山鉾は、毎年7月10日〜13日にそれぞれの山鉾町で組み立てられます。宵山期間中には提灯の灯りと祇園囃子の音色で多くの人々を魅了します。そして17日午前中に行われる山鉾巡行では、長刀鉾を先頭にくじで決まった順番で優雅に京都の町中を巡行します。

※牛頭天皇・・・牛の頭の形をしたインドの神様です。疫病を鎮めることで有名な神様で、八岐大蛇〔やまたのおろち〕を倒した英雄、素戔嗚尊〔すさのおのみこと〕と同一視されている神様です。

起源・歴史疫病を鎮めるために始まったお祭

祇園祭の起源は平安時代初期にさかのぼります。当時、京の都では疫病が流行していました。人々はその原因が恨みを現世に残して死んでいった人々の怨霊の祟りであると考えました。そこで神仏に祈りをささげて祟りを鎮める事を目的に、市中を練り歩く「御霊会〔ごりょうえ〕」を行いました。祇園祭はこの行事の一つで、869年に行われた「祇園御霊会」が始まりであると考えられています。
11世紀になると現在の祇園祭のシンボルである山鉾が登場しました。やがて山鉾は年毎に流行した物を題材として、年々変化し、洗練されてゆき、南北朝時代には益々華麗に、そして大規模になっていきました。その後、応仁の乱が原因で祭が中断された時期もありましたが、江戸時代初期頃には現在の祇園祭の様式に定着しました。

行事最大の見所「山鉾巡行」

祇園祭の最大の見所は毎年7月17日に行われる山鉾巡行です。数々の「山」や「鉾」と呼ばれる山車〔だし〕が優雅に京都市内を練り歩く姿は、祭のクライマックスに相応しいものです。また7月13日〜16日の前夜祭ともいえる「宵山〔よいやま〕」の期間中は、夕方になると提灯に灯りがともり、山鉾の上では「コンチキチン」の祇園囃子が演奏され、京都市内が情緒深い風景に包まれます。
京都の人々にとっては毎年祇園祭が終わると本格的な夏の訪れを感じる人が多いようです。

■参考文献・ウェブサイト


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